時は止まらないから、今を大事にしたい(ある日の保育園からの帰り道)

保育園からの帰り道、ツクシが生えているところがある。
ツクシを摘んで帰るようになって3日目、もう立派なツクシはない。
「なんでなの?」がっかりする息子。
でも、少し離れたところにツクシを見つける。
緑がかったネズミ色の胞子を抱えたツクシ。
「これが飛んで行って、ツクシになるんだよ。」
「ツクシが終わると、緑でつんつんしたスギナが出てくるよ」
そんな話ができることが嬉しい。

手をつないで、家まで歩いて帰る。
「ぼくはウチガワ、ママはソトガワ。ママはソトガワ、守ってね」
まだ頼りにされていることで、幸福になる。

帰宅途中の神社で枝を拾う。長くてまっすぐな枝が欲しいようだ。しだれ桜の枝をひっぱり、「これ、とって」
「ダメだよ」と言うと、「じゃあ、ママ、長い棒、さがして」
ママが懸命に探した長い棒のうち、3本が気に入ったようだ。満足するママ。気に入った棒を持って、走っていく息子。

「時よ、止まれ。お前は美しい」と一瞬、思い浮かべる。
だけど、時は絶対に止まらない。止めようとしても、止まることはない。
あんまりかわいくて、今が楽しくて、このままにしておきたいと思っても、それは、できない。当たり前のことだけど、気づけないことが多い。
息子は成長する。私は歳をとる。息子が私に関心をもち、全面的に頼ってくれる時期は長くは続かない。

また、私は息子の将来を見たい。これから、つらいこと、悲しいことがあると思う。でも、嬉しいこと、楽しいことも、絶対ある。

だから、この黄金とような一瞬は、大事に心の中にとっておきたい。今を大切にして、毎日を過ごしたい。

ブログは10年後の黒歴史?(昔のブログが発掘されました)

10年以上前の私のブログを発見してしまいました。
内容があまりにつまらなくて、驚きました。
カツマーがブームになった頃だったと思います。勝間和代さんがブログを推奨していたんですよね。
書きたいことはわかるけど、他人が興味をもつ内容ではないし、面白く読める内容でもない。ブログのテーマと内容も、ずれている。ひどいです。
娘も読もうとしたけど、つまらなくて全部は読めなかったみたいです。
インディ(自立した人)にもなれず、7ヶ月くらいで終わったようです。


ブログでもツイッターでも、面白い人と面白くない人の差はすごいなと感じます。
違いとは、何か?どうすれば、面白いブログが書けるのか?

ひとつは経験かなと思います。書けば書くほど、うまくなる。
私が面白いと感じた催眠のブログは、10年くらい書いていて、500記事以上あります(催眠について書き始めたのは最近のようですが)。
小説も書いているようです。
私の夫も、わりと文章が上手ですが、ゲームシナリオやエッセイをたくさん書いていたらしいです。小説もいくつか書いています。
また、私は詩のサークルを事情があってやめて、1年後くらいに、1度顔を出したら、みんなすごくうまくなっていて驚きました。
書いていると上手になるのだと思いました。

もうひとつは生き様かなと思いました。
娘の好きなイケハヤ大学で、イケダハヤトさんが「文章力をアップ!おすすめテク10選」で、最後は生き様だとおっしゃっていました。
youtu.be

催眠の先生も夫も、今まで生きてきて、面白い話がたくさんあるようです。私はとくにないので、仕方ないと思いました。


そもそも、ブログは、友達というか、趣味の合う人を見つけたいと思ったから始めました。
だから、文章のうまさよりも、自分の好みをはっきりさせ、
その自分が関心あるものに対して、他の人達が求めている情報を書いていくことが必要なんだと思います。
そうしたら、私は目的が達成できると思います。

リツイートされて心乱れた話(日頃の行いが大事なようです)

この前、娘のことを書いたツイートが、フォロワーの多い方にリツイートされました。
私は友達もほとんどいないし、フォロワーも少ない。誰も見ていないと思って、好きなことを好きなように書いていました。
ツイッターはしばらくやっていなかったのですが、育児日記をつけることをすすめられて再開したのです。

そのリツイートで、普段はインプレッション(ツイートが見られた回数)が70くらいなのに、そのツイートのは38000くらいになりました。
いいねはついても1、2個なのに、このときは100を超えました。

びっくりしました。どきどきして何回ものぞいてしまいました。
リプライはなかったし、可もなく不可もなくのツイートで、これだけ、心が乱れるのかと驚きました。
炎上なんて、恐怖でしかないと思いました。
フォロワーが多い、影響力の大きい人は、タフだなあと感心しました。誰にでもできることではないと思います。
慣れや、心構えとかもあるのでしょうが。

こんなに見られるなら、プロフィールやブログ、他のツイートをもっと良いものにしておくんだった、と思いました。
でも、私自身にそんなに面白いところなどないし、普段注目されようと頑張ってるわけでもないし、そんな良いものができるわけないです。
むしろ、変なこと、ネガティブなことを書かないように注意しないといけないなと思いました。
日記帳とネットは違うと気づきました。予期しないで、注目されてしまう可能性があるのだと、今回のことで学びました。

もうひとつの私の人生(やっぱり私はとても今幸せです)

夢を見ました。
私は36、7歳です。結婚していなくて、もちろん、子どももいません。大学時代、仲が良かった男性に連絡を取ろうとしますが、取れません。
子どもはもう産めないだろうとせつない気持ちになっています。
妙にリアルな、もうひとつの私の人生でした。

私は、結婚したときも、子どもを産んだときも、不調だったので、大変なことはたくさんありました。
夫も子どもも苦労したと思います。何とか何とか、やってきました。

無理、しすぎたかな?と思うこともありました。子どもを産まなかったら、もっと普通の生活できてたかな?と思うこともありました。
実際、子どもを作る前、「調子が良くないので、子どもは産めないと思う」と夫に話したこともあります。
でも、子どもを二人産むことを決断しました。

夢のなかの私は、結婚しないで子どもを産まないで、得たものもたくさんあると思います。
けれども、夢のなかで感じたせつなさ、今ある幸せをきちんと認めたい。
そして、これからも何とか何とか、やっていきたいと思う。

仕事でこれから大成功したり、家族に私が大きく貢献することは、たぶん、ない。でも、それでも、いいです。
私は、私ができる精一杯のことをやって、若い頃の私が想像もつかないような、大きな幸せを手に入れました。
それで、いいです。

乙女じゃなくても恋はする(やりたいことがわからない人のための決める技術)

前回、今年は私が成果を出したい、そのために感動する心を取り戻したいと書きました。
結局、決断というのは、「好き嫌い」なので、自分の好き嫌いがわからないと決まらない。つまりは行動できない。
そして、私は今、好き嫌いの感覚が相当鈍っているので、好き嫌いに自覚的になることから、始めます。
興味をもてるもの、感動できるもの、愛せるものを大切にする。そういうことを「恋」と表現することにします。

恋する上で、注意したいことが3つあります。
・恋に利害を絡めない
・恋は基本的には片想い
・恋はいつか終わる

「利害を絡めない」
私はピアノや多肉植物やブログやツイッターが好きですが、それだと稼げないと思うことがあります。
また、私より、子どもに資源(時間やお金など)を投資した方が良いのでは、と思うこともあります。
でも、今はとりあえず、そういうのはおいておく。
コノフィツムは美しい、シューベルトの即興的142-3の短調の和音に感動する、とありのまま感じていいことにします。
色々考えるのは、元気になってからで。今は感じられること優先です。

「基本は片想い」
ツイッターを見てると、フォロー数フォロワー数で、モテる人モテない人はいるんだなとよくわかります。
関心をもったものが自分に適性があるとは限らない。報われるとも、限らない。それは、仕方のないことです。

「いつか終わる」
飽きるのは普通のことだと思います。飽きたら、基本的にはあきらめると思います。
感情のコントロールは難しいので、逆にのめり込みすぎることも十分にあり得ます。そのときは、できる範囲内で対処します。

以上のことに気をつけながら、興味あることを発見し、大切にして、育てていけたらと考えています。


NHKEテレに、「にほんごであそぼ」という番組があります。そのなかで、「恋そめし」という歌が歌われることがあります。
恋する者への応援ソングです。この歌を聴いていると、歳をとっても、負けても、何度でもチャレンジできるんじゃないかと思えてきます。
何を求めるかによるけれど、気の持ちようとか、どんな切り口にするかとかで、対応可能なことも多いと思います。

私は30過ぎて、夫に「アイドルになりたい」と言いました。
そして、市民大学とかサークルとかで、それに準ずるポジションは一応獲得したと自分では思っています。
だから、ばかばかしいと思えることも、わりと実現できると思います。

とりあえず、現代日本社会で餓死することはあまりないと思うので、気楽に挑戦していこうと思います。

今年の抱負:私が成果を出す(何をやるか決めるところからです)

私の今までの目標は「安心できて、明日への活力がわいてくる家庭、チャレンジできる家庭」でした。
・家族の話を真剣に聞く
・家族の良いところをフィードバックする
・家族の選択を尊重する
ということを心がけてきました。十分にはできなかったかもしれないけれど。

そして、今、方向転換が必要だと感じています。
もう、私の応援も励ましもいらない。夫も子どもも、自分で自分の道を歩んでいける。そう思います。
(そこに至るまでに、自己肯定感や好奇心や健康を身につけるのに、私は貢献したと思いたいけど、思うだけにします。)
今まで、夫や子どもにずっと言ってきた、「がんばったね」「すごいね」「おもしろいね」という言葉を、今からは自分にかけたい。
自分で何か成果を出せるようになりたいです。


何をするか決めるところからスタートです。
・稼げるようになる
感動する心を取り戻す
・健康である(鉄をとる、運動する、瞑想・催眠)
この辺りを考えながら、何をするか決めていきたいです。


催眠の先生に、学校に行かない娘のことを話したとき「娘さんには、何一つ問題ありません。お母さんの方が問題です!」と言われ、
「まあ、その通りだよなあ」と私は思いました。もう娘は自立しているのだから、私はその邪魔をしないよう、自分の世界を作っていきたいです。

愉快な自己催眠生活(人生が少しずつ楽しくなっています)

自己催眠の講習に行きました。そうしたら、先生が
「何で来たの?できるでしょ?」
「何の本読んだの?本の通りにやってできないの?」
「瞑想やってるなら、そのときついでに暗示入れればいいだけだよ」

あれ?!自己催眠の講習やってくれるって言ったの先生だよね?と思いつつ、
催眠状態になっているのかよくわからないと言って、それがわかりやすい方法を教えてもらいました。
何でできることになっているのだろう?みんなそんなに優秀なんですか?

「何が得意?」と聞かれ、「呼吸がいちばんやりやすいです」と言うと、
「じゃあ、ここに座って。何分かかってもいいから、ゾーンに入ったら教えてね」と先生。
えっ、そこがキモで自己催眠の9割はそこじゃないの?!とか思いながらも、無事習えました。

帰って次の日やってみたら、あまりにすんなりできて、こわくなって一時間くらい寝込みましたが、その後は無事にやっています。

私は「催眠状態になれればいい、暗示入れなくてもいい」(催眠状態になると調子が良くなるので)と言ったのですが、
先生は「せっかくだから、暗示入れようよ」と何度もおっしゃいます。「願いは別にないので」と言ったのですが、
講習のとき入れた暗示はちゃんと効果がありました。

習って一ヶ月くらいたちましたが、基本、「私は自分の望みがわかっている」と暗示を入れています。
やりたいことは特に何もないと思っていたけれど、やりたいことを色々思いつくようになって、楽しいです。
たまに「(私は)周囲の人が笑顔になるようないい笑顔です」とか「私は家族の良いところを見つけています」などの暗示を入れています。
なかなか楽しいです。効果ありますよ。みなさんもぜひ暗示入れましょう。
こんな暗示入れてるとか、こんな効果あったよとか、他の人達と話せたらすごく楽しいと思うのです。

先生によると催眠術は「人生をデザインする技術」らしいです。習う前より、人生でやりたいことが明確になってきて、なんだか楽しいです。
自己催眠、おすすめです。
上で色々書いてしまったけど、先生の講習はわかりやすくて、とても良いです。やさしい先生です。